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浦和地方裁判所熊谷支部 平成2年(ワ)130号 判決

原告

若林真一

被告

松本亘

主文

一  被告は原告に対し、金七四〇万三八二六円及びこれに対する昭和六三年一月二三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

一  原告は一被告は原告に対し、金七〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一月二三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

1  事故の発生

昭和六三年一月二三日午後一〇時一〇分ころ、埼玉県熊谷市本町一丁目一六五番地先路上において、被告は普通乗用自動車(熊谷三三す三一七八号、車両総重量一九七五kg)を運転して、丑久保和夫運転にかかる普通乗用自動車(熊谷五六り三〇四三号、車両総重量一四〇五kg、以下「丑久保車両」という。)の後方からこれに追従して進行中、丑久保車両の動静注視を欠いたまま漫然と進行したことから、同所付近の交差点で信号待ちのため停止した丑久保車両の後部に自車前部を追突させ、もつて丑久保車両の後部座席に同乗していた原告に頸椎捻挫、脊髄損傷の傷害を負わせた。

双方の車両の破損状況はバンパーが凹んだだけではなく、丑久保車両のリア下部、被告運転車両のラジエター下部にそれぞれ歪みや凹みなどが生じた。また、原告は追突の衝撃によつて「体を捻じつたような感じでのけぞつた」ものであり、頸椎捻挫と脊髄損傷の傷害を負つたことは明らかである。

2  責任原因

被告は普通乗用自動車を運転して丑久保車両に追従したものであるから、先行する丑久保車両の動静を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、丑久保車両の動静を注視しないまま漫然と進行した過失により、交差点で信号待ちのため停止した丑久保車両の後部に自車前部を追突させたものであつて、民法七〇九条の責任を負うべきである。

3  原告の傷害

(一)  原告は本件事故によつて頸椎捻挫、脊髄損傷の傷害を負い、嘔気・頭痛・右足をはじめとする右身体のしびれ感・熱感・右側腕部・臀部・下肢部に刺すような痛みなどが発生し、その治療のため、昭和六三年一月二四日から埼玉県熊谷市内の埼玉慈恵病院に入院した。当初の段階では一ないし三か月の入院治療が考えられたが、嘔気・頭痛・熱感は軽快したものの、その他の症状の改善は思うに任せず、首から肩にかけての張り・凝り・痛み・両下肢のしびれ感は残存したまま、同年八月二二日同病院を退院し、通院治療に切り替えた。

(二)  その後も、原告は通院治療を続けたが、首から肩にかけての張り・凝り・痛み・両下肢のしびれ感・冷感などの症状は頑強に残り、次第に耐え難いものとなり、昭和六四年に入つては不眠を訴えるに至り、平成元年四月二〇日から同年六月二二日まで再度埼玉慈恵病院に入院して治療を受けた。しかし、これによつても、さしたる改善は見られず、その後も通院を続けている。

(三)  右の経過で、原告には首から肩にかけての張り・凝り・痛み・手足のしびれ感や冷感などの症状が残り、これが平成元年一二月末日段階で固定しているところ、これは自賠法施行令二条の別表に定める後遺障害等級の第一二級の一二にいう「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当する。

4  原告の損害

(一)  入通院関係の損害

原告は埼玉慈恵病院に昭和六三年一月二四日から同年八月二二日まで(二一二日間)入院したうえ、同年八月二三日から翌平成元年四月一八日まで通院し、再び同年四月二〇日から同年六月二二日まで(六四日間)入院し、同年六月二三日以降も通院を続けている。平成元年一二月三一日までの通算の入院日数は二七六日、通院日数は四二六日に及ぶが、この治療費は原告において負担していない。

これとは別に、原告は平成元年六月二三日から群馬県藤岡市内の極王堂鍼灸院に鍼灸治療のため通院し、同年一二月末日までに通院は八〇回に及んだ。

(1) 鍼灸治療費 金一六〇万円

極王堂鍼灸院における治療費は一回につき金二万円であり、八〇回分の合計は金一六〇万円である。

(2) 入通院雑費 金七三万三五〇〇円

入院日数二七六日と通院期間四二六日の半分である二一三日の合計四八九日を対象に、通院交通費も含め一日につき金一五〇〇円の割合とすると、合計金七三万三五〇〇円となる。

(3) 入通院慰謝料 金二〇〇万円

(二)  休業損害 金二六九八万七二七七円

原告はかねてから祭事その他の行事、行楽等によつて公衆が参集する広場や路上に設置した仮設店舗において、たこ焼き、イカ焼き、タイ焼き、ジヤガバター、フラツペ等を製造販売する業務に従事してきた。

原告は右店舗数台の店主として常時、三〇名程の従業員を統率し、仕入・製造・販売を行いながら、競合他店舗との交渉・調整などを行つていた。この形態の営業において売れ行きを左右するのは場所の確保と販売商品の競合に対する調整、天候や入出の状況を踏まえた商品の調整、顧客とのやりとり等々、いずれも営業の現場でしかなし得ない判断の適否が売れ行きを決定づけるのである。それに加えて従業員に効率的な作業をさせることや顧客、競合他店舗との間に生ずる諸々の紛争を処理することなども原告の陣頭での指揮監督があつてはじめて可能となるものである。

ところが、本件事故以後、原告は入院中はもちろん、通院中も理学療法に三時間を要する状況にあり、仕事に殆ど従事できない事態となつた。

それによる売上減は顕著であり、原告は減少した売上分に相当する損害を受けた。なお、売上のうち、原料費と人件費が五〇パーセントを占めるため、残りの五〇パーセントが原告の純利益となる。

原告が店舗を開設する機会は恒常的に存在し、売上も毎年ほぼ同様であり、過去三年の年間売上は左のとおりであつた。

昭和六一年度 金三億九七九三万九三三〇円

昭和六二年度 金三億六八一一万七七八〇円

昭和六三年度 金三億二九〇五万四〇〇〇円

本件事故に遭遇した昭和六三年の売上が減少したことは明らかであり、少なくとも昭和六一年と昭和六二年の売上の平均値である金三億八三〇二万八五五五円と昭和六三年の売上との差額である金五三九七万四五五五円については本件事故による売上減と推定することができるので、この半分に相当する金二六九八万七二七七円を原告の損害とみるべきである。

(三)  後遺障害による損害

(1) 逸失利益 金一億一六〇七万九八六七円

原告の年間収入を前記の平均年間売上である金三億八三〇二万八五五五円の半額とすれば、金一億九一五一万四二七七円となり、労働能力喪失期間を五年、後遺障害等級第一二級の労働能力喪失率を一四パーセントとし、ライプニツツ方式により症状固定時の現価を算出すると(ライプニツツ係数四・三二九四)、金一億一六〇七万九八六七円となる。

(2) 後遺障害慰謝料 金二五〇万円

(四)  弁護士費用 金三〇〇万円

原告は被告が損害賠償に応じないため、本件訴訟に及んだが、これをを原告訴訟代理人らに委任し、その報酬として金三〇〇万円を支払うことを約した。

5  損害の填補 金二〇〇万円

原告は被告から損害の一部として金二〇〇万円の弁済を受けたので、原告の損害総額である金一億五二九〇万〇六四四円からこれを控除すると、残額は金一億五〇九〇万〇六四四円となる。

6  よつて、原告は被告に対し、右損害残額の金一億五〇九〇万〇六四四円の一部請求として金七〇〇〇万円とこれに対する本件事故発生の日である昭和六三年一月二三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告は一原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する認否及び主張・抗弁として次のとおり述べた(請求原因に対する認否)。

1  1の事実のうち、原告主張の日時・場所において、被告運転の普通乗用自動車が丑久保車両に追突したことは認めるが、その余は争う。なお、被告運転の普通乗用自動車の所有者は有限会社大里高橋産業(代表者高橋秀雄)である。

被告は丑久保車両の後方を進行し、本件事故現場の交差点を右折しようと思つていたところ、丑久保車両が同交差点を右折したので、これにつられてその後を右折した。ところが、右折方向の道路が一方通行の出口で進入禁止であつたことから、これに気付いた丑久保車両が急停止したため、被告は急制動の措置をとつたが間に合わず、丑久保車両の後部に自車前部を追突させたものである。

その結果、丑久保車両の後部バンパー左側部分と被告運転車両の前部バンパーの右側部分がそれぞれ破損し、被告及び被告運転車両に同乗していた高橋秀雄と山岸肇はいずれも負傷なく、原告と丑久保和夫及び丑久保車両の助手席に同乗していた阿部昭範は本件事故当日には負傷がないとのことで別れたが、原告はその翌日から埼玉慈恵病院に入院し、鞭打ち症と診断され、また、丑久保和夫と阿部昭範はその翌々日から同病院に入院し、いずれも頸椎捻挫と診断され、阿部昭範は同年二月一七日に、丑久保和夫は同年三月六日にそれぞれ退院した。

本件事故の態様、双方の車両のバンパーが凹んだだけの破損状況、原告の入通院経過からの疑念によれば、原告の負傷は極めて疑問であり、因果関係の証明が不十分である。

また、埼玉慈恵病院の診療録によれば、脊髄損傷を疑つたのは同年五月二日であるが、原告の愁訴以外に他覚的症状は認められなかつた。

2  2の事実のうち、被告が丑久保車両の停止したのに気付くのが遅れ、これに追突したものであつて、被告に過失があることは認める。

しかしながら、前記のような追突の態様によれば、丑久保車両にも本件事故を誘発した責任があるというべきである。

3(一)  3の(一)の事実のうち、原告が昭和六三年一月二四日から同年八月二二日まで埼玉慈恵病院に入院したことは認めるが、その余は争う。

仮に、原告が本件事故によつて頸椎捻挫の傷害を負つたとしても、同年三月七日の時点で治癒していたものであり、それ以後の症状は本件事故とは因果関係のない原告の私病とみるのが相当である。

即ち、原告は昭和六一年三月二二日に背部、右膝、胸及び腹部を刺され、内蔵損傷の疑いがあり、藤間病院で応急処置を受けた後、埼玉慈恵病院に入院し、その際、気管支炎、肝硬変、肺癌の疑いで治療を受け、また、扁桃炎の持病があり、本件事故で埼玉慈恵病院に入院中の昭和六三年三月一四日にも高橋外科医院で治療を受けている。更に、埼玉慈恵病院に入院中の同年一月二九日、いわゆる人間ドツクの検査を受けた際、胃潰瘍の疑い、肝障害、耐糖能異常が認定されている。

(二)  同(二)の事実のうち、原告が平成元年四月二〇日から同年六月二二日まで再度埼玉慈恵病院に入院したことは認めるが、その余は争う。

原告は糖尿病で緊急入院したものであり、同年四月一七日には腎機能障害が診断され、これは糖尿病特有の合併症である糖尿病性腎症を併発した可能性もあり、糖尿病が相当重症であつたことが窺われる。

(三)  同(三)の事実は争う。

4  4の損害についてはすべて争う。

なお、原告は露天商のいわゆる親分であり、通院治療を受けた程度で休業損害は発生しないものである。

また、原告はその収入の証拠として売上の帳面だけを提出し、所得税の確定申告書も住民税の課税証明書も提出していないところ、売上の帳面と原告本人尋問の結果のみでその収入を認定することは信義公平の原則上許されないというべきである。

5  5の事実のうち、被告が原告に対して損害の内金名目で金二〇〇万円を支払つたことは認めるが、その余は争う。

6  6の主張は争う。

(主張・抗弁)

1  仮に、原告が本件事故によつて負傷したとしても、一か月程度の通院治療で全治したものであり、原告の愁訴は他の既往症ないし私病によるもので本件事故とは因果関係がなく、原告に対する入院治療は過剰かつ濃厚診療であつた。

2  被告は原告に対し、保険金から治療費名目で埼玉慈恵病院に金四三一万七六〇八円を支払つたほか、内金名目で金二〇〇万円を支払った。

三  原告は被告の主張・抗弁に対する認否として次のとおり述べた。

1  1の主張は争う。

2  2の事実のうち、原告が被告から損害の一部として金二〇〇万円の支払を受けたことは認めるが、その余は不知。

四  証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりである。

理由

一  事故の発生

昭和六三年一月二三日午後一〇時一〇分ころ、埼玉県熊谷市本町一丁目一六五番地先路上において、被告運転の普通乗用自動車が丑久保車両に追突したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証、乙第七、第八号証、司法警察員の作成部分については成立に争いのない乙第一ないし第三、第五号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第四、第六、第一〇、第一三号証、証人丑久保和夫の証言及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、丑久保車両は追突の衝撃によつて三・四メートル程前へ押し出され、後部バンパー左側が凹損したほか、リア下部にも歪みや凹損が生じたこと、原告は丑久保車両の後部座席に同乗し、助手席に身を乗り出して阿部昭範と話していたところ、追突の衝撃によって体を捻じつたような感じでのけぞつたこと、被告及び被告運転車両に同乗していた高橋秀雄と山岸肇にはいずれも負傷はなく、原告と丑久保和夫、阿部昭範にも本件事故当日は負傷がないとのことで別れたが、原告は帰宅後に嘔気・頭痛・頸部痛・右上・下肢のしびれ感などが発生し、同年一月二四日から埼玉県熊谷市内の埼玉慈恵病院に入院し、全治約一か月間を要する見込みの鞭打ち症と診断され、また、丑久保和夫と阿部昭範も同年一月二五日から同病院に入院し、いずれも全治約一か月間を要する見込みの頸部捻挫と診断され、阿部は同年二月一七日に、丑久保和夫は同年三月六日にそれぞれ退院したこと、被告運転の普通乗用自動車は有限会社大里高橋産業(代表者高橋秀雄)の所有であったことが認められる。

なお、被告は本件事故の態様などから原告の負傷は極めて疑問であり、因果関係の証明が不十分であると主張するが、原告が本件事故によつて少なくとも鞭打ち症(頸部捻挫)の傷害を負ったことは明らかというべきである。

二  責任原因

被告が本件事故現場の交差点において先行する丑久保車両の停止したのに気付くのが遅れ、これに追突したものであつて、被告に過失があることは当事者間に争いがない。

なお、本件事故の態様については原告と被告との主張が対立し、証拠関係も相違しているが、被告において過失相殺を主張しているわけでもないので、立ち入って判断しないこととする。

三  原告の傷害

1  原告が昭和六三年一月二四日から同年八月二二まで(二一二日間)埼玉慈恵病院に入院したことは当事者間に争いがなく、前掲甲第三号証、乙第八号証、成立に争いのない甲第四、第七ないし第一〇号証、乙第一五号証、第一八号証の一ないし二五、第一九号証の一ないし一七、第二五号証の一ないし一五、証人西田貞之の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は鞭打ち症と診断されて埼玉慈恵病院に入院した直後の昭和六三年一月二九日短期人間ドツクの検査を受けた結果、胃潰瘍の疑い、肝障害、耐糖能異常と診断され、同年二月一日から食事制限(糖尿病食)が実施され、鞭打ち症の治療としては安静と鎮痛剤や神経賦活剤、ビタミン類の静脈注射による薬物療法、頸椎牽引とマツサージによる理学療法が処方されたが、原告の愁訴は嘔気がなくなつた程度でほとんど変わりがなかったため、主治医は脊髄損傷の疑いを持ち、同年三月一八日MRI(磁気共鳴装置)による検査を実施したところ、異常所見が認められなかつたので、脊髄損傷ではないと判断し、通院治療に切り替えてもよいと判断したものの、原告の愁訴が同様に続いたことから、同年八月二二日まで入院治療を継続した。

(二)  その後も、原告は埼玉慈恵病院に通院して薬物療法と理学療法による治療を受け、通院日数は平成元年二月と三月が各七日、同年四月が一五日までで二日と少なくなっていたが、同年四月一五日には体重が六キログラム減少し、頸部の痛みと両下肢のしびれを訴え、同月一七、一八、一九日と連日通院し、同月二〇日には糖尿病の診断により同病院に入院し、糖尿病の治療と頸椎捻挫の治療を併せて受け、糖尿病の症状が急速に治まつたことから、同年六月二二日退院するに至った。

なお、原告は右入院期間中の同年四月二六日には包茎手術(環状切開法)も受けた。

(三)  原告はその後も頸部の痛みや両下肢のしびれなどを訴え、平成元年六月二三日から平成二年六月二日までは連日のように埼玉慈恵病院に通院し、薬物療法や理学療法による治療を受けた。

(四)  また、原告は平成二年六月三日以後も埼玉慈恵病院に通院し、同年中は通院を続けたようであるが、何となく通院が終了し、同病院から治癒とも症状固定とも後遺症があるとの診断も受けなかった。

原告は平成四年三月一二日の本人尋問中において、現在も首筋と両下肢にしびれがあり、就寝しても寒くて眠れなかつたり、自動車を運転しても三〇分もすると症状が悪化し、仕事にも影響があるなどと訴えている。

(五)  なお、原告は扁桃炎に罹患し易い体質であり、昭和六一年一一月から高橋外科医院でしばしば治療を受け、本件事故前の昭和六三年一月一一日にも、本件事故後で埼玉慈恵病院に入院中の昭和六三年三月一四日にも同医院で治療を受けた。

2  右の事実によれば、原告が本件事故によつて受けた傷害は鞭打ち症(頸椎捻挫)にとどまり、脊髄損傷まで負つたとは認め難いところ、原告には扁桃炎や耐糖能異常などのいわゆる私病もあったとはいえ、昭和六三年一月二四日から同年八月二二日までの入院治療とその後平成元年一二月三一日までの通院治療は必要な治療であつたと認めるのが相当である。

しかし、平成元年四月二〇日から同年六月二二日までの入院は主として耐糖能異常を治療する必要からであつて、頸椎捻挫の治療のためではないから、本件事故とは関係のない治療というべきである。

次に、原告はその首から肩にかけての張り・凝り・痛み・手足のしびれ感や冷感などの症状が残り、平成元年一二月末日段階で症状が固定し、これは自賠法施行令二条の別表に定める後遺障害等級の第一二級の一二にいう「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当する旨主張するが、前記認定のとおり、原告は埼玉慈恵病院から後遺症の診断も受けなかったものであるから、原告主張の後遺障害を肯認することは困難といわなければならない。なお、証人西田貞之の証言中には、被告訴訟代理人松下祐典の「原告に後遺症があると考えていらつしゃいますか。」という問に対し、「難しいですね。多少の手足のしびれ感、特に手のしびれ感というのは少し残るかも知れませんけれども、今までの経過から必ず後遺症が残るか残らないかの判断は、多分誰にもできないと思います。普通の状態から判断すると、後遺症の可能性は低いというふうに考えていいと思います。」との陳述部分がある。

ところで、被告は仮に原告が本件事故によって鞭打ち症(頸椎捻挫)の傷害を負つたとしても、一か月程度の通院治療で全治したものであり、原告の愁訴は他の既往症ないし私病によるもので本件事故とは因果関係がない旨主張し、乙第四〇号証(医師乾道夫作成の意見書)にはこれにそう意見が記載されているが・前記認定の事実に照らして、容易に採用することができない。

四  原告の損害

1  入通院関係の損害

(一)  鍼灸治療費 〇

原告は平成元年六月二三日から群馬県藤岡市内の極王堂鍼灸院に鍼灸治療のため通院し、同年一二月末日までに八〇回に及んだ旨主張するがこれを認めるに足りる証拠がないばかりか、鍼灸治療について医師の指示があつたとの証拠もない。

(二)  入通院雑費 金五四万八〇〇〇円

原告が埼玉慈恵病院に昭和六三年一月二四日から平成元年一二月三一日まで入院(昭和六三年一月二四日から同年八月二二日までの二一二日間と平成元年四月二〇日から同年六月二二日までの六四日間の合計二七六日間)ないし通院したことは前記認定のとおりであり、前掲甲第三、第四、第七号証及び原告本人尋問の結果によれば、同期間内の通院日数は二七二日であり、原告の住所地と埼玉慈恵病院の所在地はいずれも熊谷市石原地内であることが認められるところ、入院中は一日当たり金一〇〇〇円の諸雑費を必要とし、通院中も一日当たり同じく金一〇〇〇円程度の交通費を含む諸雑費を必要としたことは経験則上明らかというべきである。

したがつて、入院雑費は金二七万六〇〇〇円、通院雑費は金二七万二〇〇円、合計金五四万八〇〇〇円となる。

(三)  入通院慰謝料 金二〇〇万円

前記認定のとおり、原告は昭和六三年一月二四日から平成元年一二月三一日まで入院あるいは通院を余儀なくされたものであって、これによつて受けた精神的苦痛に対する慰謝料は金二〇〇万円とするのが相当である。

2  休業損害 金六一五万五八二六円

(一)  原告本人尋問の結果とこれによつて真正に成立したと認められる甲第一一ないし第一四号証によれば、原告はかねてから祭事その他の行事、行楽等によつて公衆が参集する広場や路上に設置した仮設店舗において、たこ焼き、イカ焼き、タイ焼き、ジヤガバター、フラツペ等を製造販売したり、正月のしめ飾りを販売する業務に従事してきたところ、昭和六〇年ないし昭和六三年一月ころは常時、三〇名ないし四〇名余りの従業員を雇い入れ、これを統率しながら右業務を営み、昭和六〇年ないし昭和六三年の年間売上は原告とその妻において作成した売上帳を集計すると、左のとおりであったことが認められる。

昭和六〇年度 金四億四八一九万五六一〇円

昭和六一年度 金四億〇〇〇五万六三二〇円

昭和六二年度 金三億六七二六万四九三〇円

昭和六三年度 金三億二二三九万二〇五〇円

ところで、原告は本件事故後の昭和六三年度における売上の減少は顕著であつて、減少した売上分に相当する損害を受けた旨主張するが、右のとおり売上は昭和六〇年度から漸減しており(昭和六一年度は昭和六〇年度よりマイナス金四八一三万九二九〇円、昭和六二年度は昭和六一年度よりマイナス金三二七九万一三九〇円、昭和六三年度は昭和六二年度よりマイナス金四四八七万二八八〇円)、昭和六三年度の減少は少なくないとはいえ、原告が入通院のために休業した割には減少が顕著でなく、むしろ社会的な需要の減少によるものではないかと推認される。

しかも、原告は被告側から指摘されたにもかかわらず、所得税の確定申告書も提出していない。

したがつて、売上ないしその減少分を基礎として原告の休業損害を算定することは妥当でないといわなければならない。

(二)  しかし、原告が入通院によって休業損害を受けたことは経験則上明らかであるところ、その算定の基礎となる収入は賃金センサス(第一巻第一表)の産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の年齢階層別平均給与額によるのが妥当というべきである。

そして、前掲乙第七号証によれば、原告は昭和二二年三月二九日生まれで本件事故当時四〇歳であつたことが認められ、賃金センサス昭和六三年度の右年齢階層別平均給与額による四〇歳ないし四四歳の年間給与額は金五四八万四五〇〇円であるから、これに基づき、本件事故の翌日である昭和六三年一月二四日から治療に必要な平成元年一二月三一日までの期間について、昭和六三年一月二四日から同年八月二二日までの入院中の二一二日は一〇〇パーセント、その余の四九六日については四〇パーセントの割合による休業とみなして算出すると、左の計算式のとおり、休業損害は金六一五万五八二六円となる。

〔五四八万四五〇〇円÷三六六×二一二〕×一+〔(五四八万四五〇〇円・一・三六六×一三一)+五四八万四五〇〇円〕×〇・四=六一五万五八二六円

3  後遺障害による損害 〇

原告において後遺障害を負った事実が認め難いことは前記のとおりであるから、これを前提とする逸失利益と後遺障害慰謝料の請求はいずれも理由がない。

五  損害の填補 金二〇〇万円

原告が被告から損害の一部として金二〇〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

なお、被告は埼玉慈恵病院に原告の治療費名目で保険金から金四三一万七六〇八円を支払った旨主張するが、原告は同病院の治療費を請求しているわけではないので、判断の必要がないというべきである。

六  弁護士費用 金七〇万円

原告が本訴提起を原告訴訟代理人らに委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件事案の性質、審理経過、認容額などを考慮すれば、本件事故と相当因果関係を有する損害としての弁護士費用は金七〇万円と認めるのが相当である。

七  まとめ

そうすると、原告が被告に対して賠償を請求できる金額は、四の1の(二)、(三)と2の合計金八七〇万三八二六円から損害の填補分の金二〇〇万円を控除し、これに弁護士費用の金七〇万円を加えた金七四〇万三八二六円ということになる。

八  以上の次第であるから、原告の本訴請求のうち、金七四〇万三八二六円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六三年一月二三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北澤貞男)

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